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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)245号 判決 1974年6月27日

全事件原告

赤岡照美

右訴訟代理人

高木義明

外二名

全事件被告

日本自転車振興会

右代表者会長

新井茂

昭和四四年(ワ)第七、一六五号事件被告

新井茂

外六名

右被告ら八名訴訟代理人

風間克貫

外四名

主文

一  被告日本自転車振興会は原告に対し一、四七〇、四六九円および内六〇五、一二二円に対する昭和四二年一月一日から、残八六五、三四七円に対する昭和四三年一月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告日本自転車振興会に対する原告のその余の請求および同被告を除くその余の被告らに対する原告の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告日本自転車振興会との間においては、原告に生じた費用の一〇分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と右被告を除くその余の被告らとの間においては、全部原告の負担とする。

事実

第一  申立て

一、昭和四二年(行ウ)第一四四号事件について

(一)  原告

被告日本自転車振興会(以下、被告日自振という。)が原告に対し昭和四二年七月二六日付でした競輪選手登録消除処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告日自振の負担とする。

(二)  被告日自振

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、昭和四四年(行ウ)第二四五号事件について

(一)  原告

被告日自振が原告に対し昭和四四年八月二五日付でした競輪選手登録消除処分に対する異議申立てを棄却する旨の決定はこれを取り消す。

訴訟費用は被告日自振の負担とする。

(二)  被告日自振

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

三、昭和四四年(ワ)第七、一六五号事件について

(一)  原告

被告ら八名は原告に対し連帯して左の金員を支払え。

1 四九六、九三二円およびこれに対する昭和四一年一月一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員

2 別表(一)(年間平均賞金額一覧表)記載の各金員およびこれに対する各翌年一月一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員

3 昭和四八年一月一日から原告日自振より競輪出場のあつせんを受けるまで一年間あたり三、七六七、三一八円の割合による金員

訴訟費用は被告ら八名の負担とする。

仮執行の宣言

(二)  被告ら八名

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  主張《以下省略》

理由

一本件登録消除処分等の存在

請求原因(一)ないし(三)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二競輪選手とその消除の意義

競輪に出場する選手は、本件登録規則の定めるところにより被告日自振に登録されたものでなければならない(自転車競技法五条一項)。被告日自振は選手登録簿を備付け、身体、技能、学力および人物について行なう選手資格検定に合格した者を選手として登録する(本件登録規則一五条)。

被告日自振は、競輪の公正かつ安全な実施を確保するため必要があると認めるときは、本件登録規則の定めるところにより競輪選手の登録を消除することができる(自転車競技法五条二項)。競輪選手の登録の消除は、競輪選手が登録の消除を申請したとき、登録の更新を受けなかつたとき、死亡したときに行なわれるもののほか(本件登録規則二〇条)、一定の事由がある場合に被告日自振が競輪選手の意に反して行なう場合がある(本件登録規則二一条)。その登録消除事由としては、(1) 登録証の記載事項に変更があつた場合の届出を怠り、または虚偽の届出をしたとき、(2) 不正な方法により選手資格検定または選手登録更新を受けたことが明らかになつたとき、(3) 競走に関し不正な行為をしたとき、(4) 競走の成績が不良であるとき、(5) 身体に故障を生じ競走の能力を欠くに至つたと認められるとき、(6) 正当な理由がないのに一年以上引き続き競輪に出走しなかつたとき、(7) 前各号に掲げるもののほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるときの七つの事由が定められている(本件登録規則二一条)。

右にみたように、競輪選手として競輪に出場するためには被告日自振の選手登録簿に登録された者でなければならないので、競輪選手の登録とは登録された選手に対し全国各地で開催される競輪に参加出走しうる一般的資格・身分を付与するところの行為であり、登録の消除とは右一般的資格・身分を剥奪するところの行為である。

三競輪の実施と競輪選手の参加出走

競輪の施行者は都道府県および自治大臣が指定する市町村であるが、競輪施行者は競輪の競技に関する事務その他の競輪の実施に関する事務を自転車競技法にもとづき設立された特殊法人である自転車競技会に委託することができるようになつており(自転車競技法一条、一三条、同条の二、四)、<証拠>によれば、全国を八ブロックに分けてブロックごとに特殊法人である自転車競技会が設立され(たとえば、関東自転車競技会、中部自転車競技会、近畿自転車競技会など)、現実にはこの八つの自転車競技会が競輪施行者からそれぞれ委託を受けて競輪の実施にあたつている(もつとも、昭和三七年一〇月以前は自転車競技会なる特殊法人は存在せず、各都道府県の自転車振興会なる社団法人が競輪施行者の委託を受けて競輪の実施にあたつていたが、同月自転車競技法が改正されて、同法にもとづき自転車競技会なる特殊法人が設立されることになり、以後前記のとおり八つの自転車競技会が競輪の実施にあたるようになつた。)ことが認められる。

本件業務規程一一三条ないし一二五条に<証拠>を総合すれば、競輪選手が競輸に参加する手続は、(1) 各自転車競技会は、競輪施行者の委託を受けて、当該競輪の開催日の初日の属する月の二月前までに、出場選手あつせん依頼書に開催要項および概定番組ならびに希望選手名簿を添えて被告日自振へ提出し、(2) 被告日自振は、出場選手あつせん依頼書により算出した出場選手数、地城ごとの居住選手数、競輪の開催内容、希望選手および選手の交流等を勘案して、出場選手あつせん計画を作成し、(3) 被告日自振は、右計画作成後当該自転車競技会に出場あつせん選手一覧表を送付するとともに、当該選手に出場あつせん通知書を送付し、(4) 出場あつせんを受けた選手は、当該競輪に出場を希望する場合は出場希望回答の締切日までに当該競輪施行者あての参加申込書を被告日自振へ送付し、(5) 被告日自振は、参加申込書を取りまとめ、一括して当該自転車競技会へ送付し、(6) 当該自転車競技会は参加通知書を当該選手へ送付し、ここに競輪施行者(その委託を受けた自転車競技会)と当該選手との間に競輪参加(出場)契約が成立し、当該選手は競輪へ参加出走するに至るものであることが認められる。

次に、本件業務規程一二四条に<証拠>を総合すれば、各自転車競技会は、競輪施行者と協議のうえ、自転車競技法違反容疑、不正競走容疑や不正競走協定容疑がある場合、背後関係が不明朗な場合、競走上の適性が欠除している場合、素行や態度が不良な場合などのやむを得ない理由により、ある選手について競輪への出場あつせんを希望しない場合には、あつせん辞退選手名簿に所定の事項を記載して被告日自振へ提出することができ(このことをかつては配分忌避と呼んでいた時期もあつたが、その後あつせん辞退と呼ぶようになつた。)、この場合には、被告日自振は当該自転車競技会が当該競輪施行者からその実施を委託された競輪に当該選手をあつせんしないことになつていること、昭和三〇年ごろから昭和三七年ごろまでは特別あつせん辞退選手という制度があり、三か所以上の競輪施行者(その委託を受けた各自転車振興会)からあつせん辞退があつた場合に、被告日自振は当該選手を特別あつせん辞退選手に指定し、当該選手の出場あつせんをとくに希望する競輪施行者(その委託を受けた各自転車振興会)の場合を除き全国的に出場あつせんをしないものとすることができたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

本件業務規程一二六条によれば、被告日自振は競輪選手に同条所定の事由が生じたときはそれぞれ所定の期間当該選手に対する出場あつせんを保留することができ、同規程一二七条によれば、被告日自振は競輪選手が同条所定の事由に該当するときは一年以内出場あつせんをしないことができることになつている。

次に、競輪における通常の番組編成の方法に関する被告らの主張三(六)1の事実(ただし、車券の売上額が異常に上昇する場合がまれにあるとの点を除く。)ならびに被告らの主張三(六)2のうち出走選手数および連勝単式等の車券の一般的購入方法に関する部分はいずれも当事者間に争いがない。

四本件登録消除処分の実体上の適否

本件登録消除処分が本件登録規則二一条七号にもとづいてなされたものであることは前記認定のとおりである。そこで、原告に右条号に定める事由(すなわち、「前各号に掲げるもののほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるとき」)があつたかどうかについて検討する。

(一)  <証拠>によれば、原告は昭和三〇年三月一九日開催の京都府営第一二回向日町競輪第四日目第七レースに出走し(原告が右レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、疑惑を受けるような走行をして七着となつたこと、このため同月三一日社団法人京都府自転車振興会より「背後関係で風評悪く、三〇年三月向日町に於てもその気配が濃厚であつた」との理由を付して原告に関する配分忌避の申出がなされたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  <証拠>によれば、原告は昭和三一年三月一一日開催の埼玉県営第一三回大官競輪第二日目第一一レースに出走し(原告が右レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、本命と目されていながら誠意がなく六着となつてファンの激憤をかい、審判長から厳重注意を受けたこと、同月一四日開催の同競輪第四日目第一〇レースに出走し(原告が右レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、敢闘精神に欠ける走行をして五着になつたこと、これらのことがあつたため同年六月社団法人埼玉県自転車振興会より「昭和三十一年三月開催の埼玉県営第十三回大宮競輪に参加し初日より報導関係、自衛警備より兎角の風評ある旨連絡が有り注意中の処第二日本命と目される人気で着外となり場内ファンの激憤をかい、競走態度に誠意が見受けられず審判長より厳重注意を与えた、警備情報によると某予想業者が赤岡選手が消えると流布した向もあり最終日再び同様風説有り特に本人に敢斗を促したが五着、当会で調査した結果によると赤岡は参加十日前位より大宮市土手町の長野県選手数名下宿せる小島某宅へ泊り毎夜玉突きに過ごして居り小島某宅へは市内の車券師山口某及び通称黒ちやんが出入りしているとの風説も有り、最終日赤岡のレースで前記二名らしき者が相当なる当り車券を取つているので競走態度、風説から合せ不正容疑濃厚である。尚長野県選手は宿舎を直ちに変更せしめた。」との理由を付して原告に関する配分忌避の申出がなされたこと、その後昭和三二年度から昭和三四年度にかけても同旨の理由により配分忌避(なお、昭和三四年度においては出場斡旋辞退という名称になつている。)更新の申出がなされたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  <証拠>を総合すれば、社団法人東京都自転車振興会は昭和三一年九月一五日「過去素行不良で背後に強力な車券師を伴うものと広く信ぜられその優秀な脚力に比し走行状況に不審な点が多かつたのでその後各地競輪場に於ける走行状況及競走成績等につき特に注視して来たが今春大宮競輪参加の折も場内に不正レースの風評が強く流れ走行状況もそれを裏付けるものがあつた。更に各地競輪参加の途次長時日車券師宅に滞在する等不謹慎の行動が多く公正安全な競走の実施を期し難いため」との理由を付して原告に関する配分忌避の申出がなされたこと、昭和三二年一月二〇日には「背後関係不明朗でその優秀な脚力に比し、走行状況に不審な点が多かつたが昭和三一年大宮競輪に参加中も車券師滞同の疑が濃厚で、不正レースの噂が強く流れ、走行状況もそれを裏付ける如く不可解であつた。又参加の途次車券師宅に滞在する等プロ選手として不謹慎な行動が多く、選手間の風評も極めて悪く公正安全な競走の実施を期し難い。」との理由を付して右配分忌避の更新の申出がなされ、昭和三三年一一月一五日には同旨の理由で斡旋辞退更新の申出がなされたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(四)1  <証拠>によれば、原告は昭和三二年二月四日開催の京都府営第一一回向日町競輪第四日目第五レースに出走して七着となつたこと(原告が右レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、右出走に関し社団法人京都府自転車振興会は昭和三三年一〇月九日「2不正競走容疑関係 4背後関係不明朗関係

三〇年三月及び三二年二月向日町に於いて疑惑を受けるようなレースをし又車券の売れ方も異常があつた」との理由を付して原告に関するあつせん辞退更新の申出をしたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

2  <証拠>を総合すれば、原告は昭和三三年一一月一五日社団法人京都府自転車振興会理事長あてに「拝啓 時下初冬の候貴会益々御清栄の趣大慶に存じます。陳者小生事配分忌避により六ケ月間に三本の配分しかなくその日の生活にも事欠くようになり私自身も深く自己反省を致し二度と繰返さぬ覚悟で去る十月七日当選手会へお願い致しまたので貴会に於かれましてもよろしく御配慮賜ります様御願ひ致します。」との書面を提出して謹慎の意を表わしたが、右振興会およびその後身の近畿自転車競技会京都府支部は容易にあつせん辞退を解除せず、昭和三八年ごろに至つてようやくこれを解除したこと、その際、原告は同年五月二二日付で近畿自転車競技会京都府支部支部長あてに「御地競輪参加の節、関係者の方々に多大なる御迷惑と疑惑の念を抱かしたるが如き行為をなした事は私の不徳の至す処であり何とも申訳なき次第であります。今後斯る行為をなした場合は如何なる処分を受けても差支えなく今般の誓約書提出の機に更に一意専心選手道に邁進致します事を誓います。何卒御寛容賜りますよう御懇願申し上げます。上誓約致します。」との誓約書を提出したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(五)  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は、昭和三二年四月一一日から一三日にかけて開催された淡路・相生営第一回明石競輪第一日目第一一レース、第二日目第一〇レース、第三日目第八レースにそれぞれ出走したが(原告が右各レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、第一日目、第二日目とも七着となり、第三日目は本命ないし対抗と目されていて最終周回第二コーナーで最良の位置を確保していながら結局三着に終つた。右第三日目第八レースの原告の出走状況等に関し、社団法人兵庫県自転車振興会は、同月一九日付で被告目自振に対し(原告は)「昭和三十二年度淡路相生営明石競輪前節(四月十一―十三日)に参加した選手であるが第三日目(四月十三日)第八レース一、六〇〇米A級一般競走に於て本命又は本命対抗の脚力あるものと予想(別紙予想紙の通り)されていたに拘らず別紙コース図の如く第四周目第二コーナーを過ぎてより脚力を発揮せず三着となリレース終了後一部ファンより故意に脚力を落したと抗議の申出もあり、赤岡達手を管理室に召致し調査をしたが本人は脚カ一パイ走つた旨申立てるものであつた。本レースに於てはその売上において前の七レースの売上一、三九二、三〇〇円に対し一、六六二、八〇〇円と急上昇し(配当六九〇円)更に次の九レースには一、五四五、九〇〇円と低下した異常売上に鑑み適中車券の大口払戻状況を穴場に連絡調査した結果別紙の如く相当数の大口払戻の事実もあり赤岡選手の走法に疑義多く更に追及中同選手に面会を求めたる二人連れの男があり(一人は五十才位の男で神戸市長田区居住米穀商西畑某、今一人は二十八、九才の男で氏名不祥)その用務は赤岡選手に貸金の催促との事であつたのでこの旨赤岡選手に告げた処、全然知らない、金を借つた事はないと否定するので係員立会の上面会させた処、西畑某は赤岡に対しさきに三万円後から一万円貸した金の返還を催促し赤岡はその金は安部から借りたと言えば西畑は安部だけであれば貸さないが君が安部と一緒に来たので君に貸したのだと論議の末、両者談合の結果金を返えせないので金を返す迄赤岡選手の所持せる自転車を西畑が預ることとなり持ち帰つた。この事実に対し赤岡について事情を聴取した結果は別紙供述書の通りであるがその貸借条件については何の条件もないと申立てるのでこの間の実状を安部選手について調査したいが当事安部選手は福岡競輪出走中のため後日安部選手を召致して調査することとし赤岡選手は帰郷させた。右の事実に対し関係人として安部選手に出頭方を通知した処実父が出頭し安部選手は家庭の金策のため妻の実家である熊本市に滞在中の申出があつたので更に滞在先に出頭方の通知を発した。四月十八日に至り安部選手は実父と共に甲子園競輪場に出頭したので事情を聴取したが別紙供述書の通りで赤岡選手の借金関係は頑強に否定した。右の通り赤岡選手と安部選手の供述は全く相違せるもので更に調査を要するも赤岡選手が他県選手なる関係上貴会に於て御調査の上然るべく御措置願いたい。」との競輪事故報告書(大口払戻の事実を記載した前示別紙には、百円券二〇〇枚一人、同四〇枚一人、千円券八枚一人と記載されている。)を提出するとともに、同日二〇日付で「(忌避理由)昭和三十二年四月十三日昭和三十二年度淡路相生営第一回明石競輪第三日目第八レース一、六〇〇メートル一般競走に於いて敢斗精神欠如並に不正容疑(レース状況)第三周目まで何等異常認められず通常の平凡なる競走形態で走行するも、最終回第二コーナーより走行態勢に入る様に見受けられたが後続車のスパートせるを認め乍ら自ら不利な位置から抜け出ようとする意志を認められず徒に凡走して三着となる。(所見)初日選抜レースに於いて四番人気であつたが七着に凡走、第二日目一般競走も亦七着となつた。A級一班の選手にして各班混合競走で七着であることは全力を尽した競走を行つたとは考えられず、然るに最終回前述の如き競走状態を以て凡走し連勝式払戻の枠より脱落した。之がために一部ファンより故意に脚力を減殺したとの抗議があつた。((競走終了後投票所と連絡の結果該選手を外した別記の大口投票的中車券があつた旨報告された))以上の如く第一日、二日、三日と各日共脚力に相応しくない競走を行い、特に三日目異常投票の事実と関連して或は故意に充分なる脚力を発揮せず競走したのではないかとの疑惑も生じて来る処であり、予想紙にも『斗志に今一つ万全の信寄せ難い云々』と記載されている程でありムラ選手として定評あるらしく特に開催回数も多くファンの視野も洗練されている地区でもあり競輪自体の不信を招来する憂いも考えられる。(処置)該選手を呼んで事情聴取せるも現況不調を申述べるも敢斗精神に欠ける点厳重に訓戒を与へ帰郷せしめた。(投票券発売数比較及大口的中車券払戻状況)七レース一、三九二、三〇〇円 八レース一、六六二、八〇〇円 九レース一、五四五、九〇〇円 的中(五―六)一、七九八枚 配当金六九〇円 百円券二〇〇枚一人、百円券四〇枚二人 千円券八枚一人((事後調査のため受取人の人相は確認し得ず))(場内予想)省略」との理由を付して原告に関する配分忌避の申出をした。その後、右配分忌避(のちにあつせん辞退と呼ばれるようになる。)の申出は明石競輪敢斗欠如、不正競走容疑を理由に昭和四〇年一〇月二六日以降まで更新された。

(六)  <証拠>によれば、原告は昭和三三年一月一五日開催の千葉県営第七回松戸競輪第一日目第一一レースに出走し四着となつたこと(原告が右レースに出走したことは当事者間に争いがない。)、右レースに関し社団法人千葉県自転車振興会は同年三月二九日「三三・一月松戸本命にて着外走行不良、東京高貴(取消)の兄面会に来たが両者の話に疑問の点多く非常に不明朗である。」旨の理由を付して原告に関する配分忌避の申出をしたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(七)  そこで、被告日自振が昭和三三年五月二七日原告を特別あつせん辞退選手に指定し、昭和三六年一月一〇日右指定を解除するまで、特別の場合を除き原告を競走から排除したこと、右解除に際し、原告が被告日自振に対し同月二四日「私は競輪関係諸法規を遵守し競輪選手としての体面を汚すことなく精進致します。今後公正なる競輪の運営に支障あると御認めの節は、登録の抹消処分を受けても異議のないことを誓約致します。」との誓約書を提出したことは当事者間に争いがなく、成立に争いがない乙第九号証の二および証人吉田正治の証言により成立が認められる同号証の一によれば、社団法人岐阜県自転車振興会は同年二月一一日被告日自振に対し「特別旋斡辞退選手の取扱解除に伴う誓約書送付について」と題する書面を提出したが、そこには「一月一二日付三六日振選二特一六号を以つて御通牒に係る標記の件に関し早速当該選手を夫々弊会に招致し昨今の競輪状勢について説明し選手としての自覚と責任を常に認識し今後競輪選手として体面を汚すことなく精進するよう申し渡しました処三名共競輪界に於ける選手の責任の重大さを痛感し今日では心身の修練に努めているような現状であります。小職と致しましても改心の情顕著と認め茲に本人より提出されました誓約に対し保証し今後は観察補導に最全を尽す所存でありますれば何として宜しく御取計賜りますようお願い致します。」旨記載されていること、原告の提出した誓約書には原告の署名捺印と並んで社団法人岐阜県自転車振興会の理事長の職にあつた高島正夫が保証人として署名捺印していることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

さらに、<証拠>を総合すれば、昭和三三年ごろ競輪選手は全部で約五、〇〇〇名ほど登録されていたが、そのうち特別あつせん辞退選手に指定されたのは約五〇名位であつたこと、右約五〇名位のうち右自転車振興会からのあつせん辞退(配分忌避)の数がもつとも多くなされていたのは原告であつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(八)  1 原告が昭和三八年五月開催の堺市営第一回大阪競輪第四日目(同月一九日)第九レース、第五日目(同月二〇日)第一〇レース、第六日目(同月二一日)第七レースにそれぞれ出走し、第四日目は三着、第五日目は八着、第六日目は四着になつたことは当事者間に争いがない。

2 右1の第四日目第九レースについて

(1)  <証拠>を総合すれば、右の第四日目第九レースは二、〇〇〇メートル(四周)A級選抜競走であつたが、原告はスタート後三番手に位置し、第三周回には四番手となり、打鐘後は理想的好位置の二番手として走行し、最終周回には第二コーナー出口において一気に飛び出して先頭位置についた、さらに第三コーナーでは急ピッチで「カケ」続け、その後第四コーナーを過ぎてホーム・ストレッチ直線部(ゴール前三〇メートル付近)において後続選手に抜かれ、ついに先頭選手と約三メートル半の差を生じて三着となつたことが認められ(原告が最終周回第二コーナーから先行したことは当事者間に争いがなく、三着となつたことも前記のとおり当事者間に争いがない。)、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すれば、右1の第四日目第九レースにおいては審判長のほかに全周路審判員(レース状況の展開を観察するとともにレース内容の分析を専門とする審判員)および八人の走路審判員が審判にあたつていたが、右審判員たちは、長年にわたる審判業務の経験と感覚から(全周走路審判員である池田一馬は昭和二六年四月一日に競輪審判員の登録を受けた。)、原告のスピードが右レースの最終周回ゴール前三〇メートルラインのあたりから急に目に見えて落ちたが、それは原告が意識的・作為的に脚力を抜きスピードを落したのではないかと疑い、原告の走法に不自然さ・意外さを感じたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  右1の第四日目第九レースの出走選手氏名、車番および枠番が別表(二)記載のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右第九レースにおける予想紙の予想順位(人気)は別表(二)記載のとおりであり、現実の投票番号ごとの投票(車券の売上)は別表(三)記載のとおりであつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、投票番号ごとの投票順位(車券の売上順位)はⅠ本命=三番人気(6〜1)、Ⅱ本命=五番または四番人気(6〜5)、Ⅲ本命=対抗(6〜4)、Ⅳ本命=四番または五番人気(6〜3)の順になつていて、本命=対抗よりも本命=三番人気および本命=五番または四番人気の車券が多く購入されていること、原告を二着とする車券よりも原告や本命以外の選手を二着とする車券が多く購入されていること(すなわち、2〜4より2〜1が、3〜4より3〜1と3〜5が、5〜4より5〜6が、6〜4より6〜1と6〜5がいずれも多く購入されている。)が明らかであるが、<証拠>を総合すれば、近畿自転車競技会大阪府支部も被告日自振もともに、右投票(車券購入)の状況につき、原告が二着にならないとの予想にもとづく投票が通常より多く、異常投票であると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(4)  <証拠>によれば、原告は昭和四三年二月二七目付で弁明書(第一回)と題する書面を作成しているが、そこには右1の第四日目第九レースの展開につき「大阪競輪場の特質は一周五〇〇メートルの長走路であるので、直線の距離が長く、また、コーナーも大きいため、先行逃げ型の選手よりマーク追い込み型の選手の方が断然有利といわれている。このレースに出走した選手のうち、島田選手は成績実力ともに抜群であつたが、同選手をはじめ西林、原、高橋の各選手はいずれもマーク屋として有名であり、これらの選手の後については絶対に良い位置はとれないと一般に言われていたので、自在型の私としてはこれらの選手をマークすることは諦め、先行逃げ型の早川選手が先行するのを利用して前方へ出て最後には同選手を差し切つて入着しようとの作戦を立てたに相違ない。私の現実のレース展開も第三周回第一コーナ付近までそのようになつていたが、その付近から第二コーナー付近までの間に私の前に沢田選手が割り込んで来たため、このような順序では本命の島田選手がじつとしているはずがなく、眼前のジャン付近で同選手が前進して私や沢田選手を簡単に押えてしまうであろうととつさに判断し、私は一足先に前進して早川選手を押え込み先行態勢に入り、それから逃げにかかつた。しかし、大阪競輪場の前記特質から追い込み型の選手に有利で、島田選手に追い抜かれてしまい、さらにその後続者は前に島田選手という絶好の目標があることと風圧の減少というよりはむしろこれによつて吸い込まれるような現象によりスピードが増して西林選手にも追い抜かれたのであろうが、私のこれまでの知識からすれば、よくもまあ三着に残れたものだと誇りに思つているぐらいである。私のレース展開は堂々たるもので、何ら不明朗なところはない。なお、投票に異常が認められるとのことであるが、投票のことなど選手の関知するところではなく、もし、選手に疑いの目を向けるのであつたら、私よりもむしろ後日不正レース(八百長)容疑で大阪府警に逮捕され、有罪の確定判決を受けた西林選手に向けられて然るべきであろう。」という趣旨の記載がなされていることが認められ、この認定に反する証拠はない。

(5)  <証拠>によれば、予想紙を発行している有限会社競輪研究社の代表取締役西谷勝治および取締役籾山正夫は、昭和四二年一一月八日原告および社団法人岐阜県競輪選手会からの前記1の大阪競輪第四日目ないし第六日目の各レースの内容分析の依頼に応じ、原告らに対し「右各レースは当時の記録や出走選手カード等からみて異常なレースではないと断言する。関西のファンは特にどの選手に誰がマークするか、どの位置をとるか、印のよい選手より悪い選手のうちでもどの選手がマークがうまいかなどレース形態をよく見抜く玄人のファンが多いので、別表(三)記載のような具合に車券が売れたとしても別に異常ではない。原告が不正レースを行なつたあるいは疑惑をもたれているというのなら非常に気の毒なことである。なお、岐阜のファンは新人や選手の調子よをく知つており、各地の競輪場へ団体で車券を買いに来ていたことを覚えている。第四日目第九レースに出走した西林選手は当時強烈なマーク選手として近畿各地のファンによく知られており、第六日目第七レースに出走した松元選手は時々最終日に早目に強烈なマクリ戦法をとつたことが多く、右レースにおいて本命選手を叩いて出て展開が示現されたことに関しては当然予想されたところである。」という趣旨の話をしたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

3 前記1の第五日目第一〇レースについて

(1)  <証拠>によれば、前記1の第五日目第一〇レースは二、〇〇〇メートル(四周)A級準優競走であつたが、原告はスタート後野崎選手に続いて三番手の好位置で走行したが、第三周回第三コーナーから野崎選手が杉本選手らの後続選手に押えられるや、原告は野崎選手について後退し、最後尾となり、その後一度七番手となつたものの、再びゴール前直線部で野崎選手に抜きかえされて八着となつたことが認められ(原告が八着となつたことは前記のとおり当事者間に争いがない。)、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すれば、前記1の第五日目第一〇レースにおける審判員の人員や全周路審判員である池田一馬の登録年月日は前記2(2)のとおりであるが、右審判員たちは、長年にわたる審判業務の経験と感覚から、野崎選手が杉本選手らの後続選手に押えられたとき、原告が右後続選手の誰かに乗り換える余裕があつたのにこれをせず、野崎選手についてそのまま後退し、ついに最後尾となつてしまつたことは、原告にまつたくやる気がなく、精彩を欠いた凡走であると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  前記1の第五日目第一〇レースの出走選手氏名、車番および枠番が別表(四)記載のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右第一〇レースにおける予想紙の予想順位(人気)は別表(四)記載のとおりであり、現実の投票番号ごとの投票(車券の売上)は別表(五)記載のとおりであつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、投票番号ごとの投票順位(車券の売上順位)はⅠ本命=四番人気(5〜2)、Ⅱ本命=対抗(5〜1)、Ⅲ対抗=本命(1〜5)、Ⅳ本命=三番人気(5〜6)、Ⅴ本命=無印(5〜3)、Ⅵ対抗=無印(1〜4)、Ⅶ対抗=無印(1〜3)、Ⅷ対抗=四番人気(1〜2)、Ⅸ対抗=三番人気(1〜6)の順になつていて、本命=三番人気(5〜6)より本命=四番人気(5〜2)の車券が倍以上も購入されていることが明らかであるが、<証拠>を総合すれば、近畿自転車競技会大阪府支部も被告日自振もともに、右投票(車券購入)の状況につき、原告が入着しないとの予想にもとづく投票が通常より多く、異常投票であると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(4)  <証拠>によれば、原告は昭和四三年二月二七日付で弁明書(第一回)と題する書面を作成しているが、そこには前記1の第五日目第一〇レースの展開につき「右レースでは田渕選手と杉本選手が強く、それ以外の選手は一格落ちるといつたメンバー編成であるが、田渕選手と杉本選手とではレースの技術と強引さで田渕選手の方が一枚上手であるので、私の作戦としては同選手に先着されるのはある程度やむをえないとしても(しかし、そう諦めきつたわけのものではなく、折あらば一泡吹かせてやろうとは思つていたが)、なんとか二着までには入着したいと思い、そのためには田渕選手のすぐ後位で廻つて流れ込みを狙いたいところであるが、私の狙うところは他の選手の狙うところでもあるので、他の選手の妨害が予想されるばかりか、私の技術ではその位置をとられてしまう公算が大きいので、一応田渕選手のすぐ後位をとる作戦は諦めるが、その代りに、このレースのメンバーのうちでただ一人の先行逃げ選手である野崎選手の後位をとつておき、最終周回第四コーナー付近で同選手を追い越しておけば、たとえばその後田渕選手に追い越されても二着に入着することができると計算し、競走に臨んだはずである。そして、実際の競走もこのような状況になり、私は野崎選手のすぐ後位に位置して「ジャン」に入つたが、ここで杉本選手が予想紙や大方の選手の見方と相異して前進し先行逃げの態勢をとり、私がマークしていた野崎選手を押え込んでしまつた。ずるずる下る野崎選手に私の走路は遮断された形になつたため、私は後退するよりほかに仕方がなくなり、最後尾となり、最終周回第二コーナーからは私より実力が上位であり、このレースの本命の一人である杉本選手が懸命に逃げており全選手がこれを追つているので、私としては何もなす術がなく、やつとゴールにたどりついたというレース内容であつた。これをもつて敢闘欠如というのは私に違法行為を強要するものである。私は正々堂々と公明正大なレースをしたいと心がけ、常にこれを実行しており、何ら非難される点はない。そこで、これはあくまで私見であるが、もしこのレースに不審な点があつたとすれば、私よりむしろ杉本選手にあると思う。同選手は本命人気を田渕選手と二分していながら、自他ともにその脚質とみられているマーク追い込みと正反対の先行逃げを、しかも逃げ絶対不利のこの長走路で行ない、五着に落ちているということはどういうことであろうか。私のレース作戦はこの杉本選手の走行によつて滅茶滅茶にされてしまつたのである。ちなみに、このレースにも後日不正競走(八百長)により逮捕され有罪の判決を受けた西林選手が出走していた。本命の杉本選手がマーク追い込み型であるにもかかわらず先行し、そのすぐ後を西林選手がぴつたりとマークし、杉本選手が五着で西林選手が二着ということこそ異常というべきであろう。」という趣旨の記載がなされていることが認められ、この認定に反する証拠はない。

(5)  予想紙を発行している有限会社競輪研究社の代表取締役西谷勝治および取締役籾山正夫が昭和四二年一一月八日原告および社団法人岐阜県競輪選手会からの依頼に応じ前記1の大阪競輪第四日目ないし第六日目の各レースの内容分析について話をしたことは、前記2(5)のとおりである。

4 前記1の第六日目第七レースについて

(1)  <証拠>によれば、前記1の第六日目第七レースは二、〇〇〇メートル(四周)A級優秀競走であつたこと、原告はスタート後トップ引きの馬場、寺尾二選手を追つて好位置の三番手に位置して走行したが、打鐘後江村選手や田島選手らに抜かれ、最終周回では四番手となつたこと、そして、最終周回第二コーナー出口から外廻りバック直線部で原告はまくつて出たが、四着に終つたことが認められ(原告が四着になつたことは前記のとおり当事者間に争いがない。)、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すれば、前記1の第六日目第七レースにおける審判員の人員や全周路審判員である池田一馬の登録年月日は前記2(2)のとおりであるが、右審判員たちは、長年にわたる審判業務の経験と感覚から、原告が最終周回四番手となり、第二コーナー出口から外廻りバック直線部でまくつて出たにもかかわらず、四着に終つたのは、第三コーナーで突然ふむ足を休めて(車を引いて)故意にスピードを落したためであり、原告は勝利を得る意志をまつたく放棄したものであると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  <証拠>によれば、原告は昭和四三年二月二七日付で弁明書(第一回)と題する書面を作成しているが、そこには前記1の第六日目第七レースの展開につき「このレースでは私と江村選手が本命人気を二分しており、私は本命人気の期待に何としてでも応えんものと、誰かを出来れば江村選手に先行逃げをさせ同選手をマークして完壁に一着を狙おうとの作戦を立てスタートしたのであるが、互いに牽制しあつて前方に位置取りするものがなかつたので、本命の責任感からやむを得ず私が先行位置についてしまつた。打鐘直後に中団に位置した松元選手が外を廻りながら相当のピッチで上昇して来たので、私は外へ牽制したが、結局、私は押え込まれてしまつた。松元選手は、はつきり言えば後続の江村選手を引き出しにかかつたのが本当の目的であつたようである。この松元選手の行動により私の先行態勢は崩れ、最終周回第一コーナーでようやく四番手となつたが、江村選手まで追い込んで一着となることは出来ないと判断し、打鐘後松元選手との先行争い、その後の田島選手との競り合いで相当脚力を消耗していたにもかかわらず、第二コーナーからまくりに出た。しかし、他人を引き出すつもりで懸命に逃げる松元選手のスピードは思つたより速く、途中私が脚力を消耗していた誤算もあつたが、致命傷は本走路の特質であるコーナーのカント(傾斜角度)が浅く遠心力で放られて無駄な力を使う破目となり、そこを江村選手に私を引きつけ外に斜行するという妨害をされたことであると思う。私に不正はなく、正々堂々一着を目指して全力を尽くしたが、敗れただけであるにすぎない。」という趣旨の記載がなされていることが認められ、この認定に反する証拠はない。

(4)  予想紙を発行している有限会社競輪研究社の代表取締役西谷勝治および取締役籾山正夫が昭和四二年一一月八日原告および社団法人岐阜県競輪選手会からの依頼に応じて前記1の大阪競輪第四日目ないし第六日目の各レースの内容分析について話をしたことは、前記2(5)のとおりである。

5 <証拠>によれば、近畿自転車競技会大阪府支部は、昭和三八年五月二六日付で同競技会本部を経由して被告日自振に対し、前記1の大阪競輪第四日目ないし第六日目の各レースにおける原告の走法等につき「競走上の適性に欠けるほか投票面にも異常が認められる」旨の事故競走報告書を提出するとともに、同月二五日付で「競走上の適性欠如関係昭和三八年五月一九日より開催の大阪(住の江)競輪において下記の如く凡退して多数ファンの期待を著しく裏切つたほか一九日(第四日)二〇日(第五日)の投票は異常が認められる。第四日九レース○印三、第五日一〇レース△印八、第六日七レース◎印四」との理由を付して原告に関するあつせん辞退の申出をし、右申出はその後更新されたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(九)  1 原告が昭和三九年五月開催の富山市営第三回富山競輪第一日目(同月三〇日)第一〇レースおよび第二日目(同月三一日)第八レースにそれぞれ出走し、第二日目に六着となつたことは当事者間に争いがない。

2 右1の第一日目第一〇レースについて

(1)  <証拠>を総合すれば、右1の第一日目第一〇レースは二、〇〇〇メートル(六周)A級選抜競走であつたこと、原告はスタート後第二周回第二センターで三番手となりそのまま走行していたが、第五周回第一センター付近で斉藤選手らに抜かれて一時五番手となり、その前後進して二番手斉藤選手の外側を併走していたにもかかわらず、最終周回ホーム・ストレッチ付近で後退し、七着になつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すれば、右1の第一日目第一〇レースの審判長を務めた村井登は昭和二六年四月一日に競輪審判員としての登録を受けたものであるが、同人をはじめ当日の他の審判員たちは、長年にわたる審判業務の経験と感覚から、原告が斉藤選手と併走していたにもかかわらず最終周回ホーム・ストレッチ付近で後退したのは、同選手に競り負けたように見せかけ、自己の脚質を無視し全能力を発揮せずにずるずる後退したためであり(右第一〇レースの第五周回のラップ・タイム((競輪場の走路を一周する時間))は26.9秒であつたところ、富山競輪場における第五周回の平均ラップ・タイムは23.4秒であるので、右第一〇レースの第五周回の速度は遅い方であり、原告が斉藤選手との競り合いにより脚力を消耗したとは考えられない。)、原告は競走を放棄したのではないかと判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  前記1の第一日目第一〇レースの出走選手氏名、車番および枠番が別表(六)記載のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右第一〇レースにおける予想紙の予想順位(人気)は別表(六)記載のとおりであり、現実の投票番号ごとの投票(車券の売上)は別表(七)記載のとおりであつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告以外の選手が一着になるとの予想のもとに購入された車券のうち原告を二着と予想したものよりも原告以外の選手を二着と予想したものの方が多数購入されていること(すなわち、投票番号1〜4より1〜6、1〜3、1〜2が、2〜4より2〜6、2〜1が、5〜4より5〜6、5〜3、5〜1が、6〜4より6〜1、6〜5がいずれも多数買われている。)が明らかであるが、<証拠>を総合すれば、中部自転車競技会富山県支部も被告日自振もともに、右投票(車券売上)の状況につき、原告が入着しないとの予想にもとづく投票が通常より多く、異常投票であると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(4)  <証拠>によれば、原告は昭和四三年二月二七日付で弁明書(第一回)と題する書面を作成しているが、そこには前記1の第一日目第一〇レースの展開につき「このレースでは私と斉藤選手が本命人気を二分していた。私が出走前に立てた作戦の中心は、最終的には逃げ込みを狙う田村選手の動きに注視しつつ、一方では私をマークすると思われる斉藤選手にマークされないように警戒して走行し、最後には田村選手を押えて逃げきることにあつた。しかし、実際には、田村選手がまつたく先行せず、斉藤選手とともに後方に位置したため、他の選手も互いに牽制し合い先行するものがいないので、本命人気の一方の旗頭に立つていた私は、レースを成立させあるいはトップ引きに逃げきられないようにしなければならない責任感・義務感から前方へ出て行つた。そして、第五周回第一センター付近に至るや、今まで最後尾を走行していた田村選手と斉藤選手が同時にスパートし、トップ引きの後に続いたので私は『カブ』されてしまい、私の前には私と同じく田村選手らに押えられた馬場選手がいてずるずる後退するので、私も後方へ下げられてしまつた。その後、私はただちに外側から追い上げ(第五周回バック・ストレッチ付近の打鐘時には全選手のピッチが相当に上つているので、このような場合に外側から追い上げることは相当脚力を消耗し不利であつたが、私はこの不利を承知のうえで追い上げた。)、斉藤選手と併走し競り合つたのであるが、残念ながら競り負けてしまい、末脚を失い、ずるずると後退し、ついに七着に終つてしまつたのである。私は不明、不正なレースはしていない。積極的に勝とうとして堂々と勝負をしたが、敗れた。ただそれだけのことである。むしろ、田村選手と斉藤選手が作戦レースの展開を狙つていたように思われて仕方がない。それはともかく、レースの結果はレース展開によつて生まれるものであり、本競輪開催の最終日の優勝結果によると、本命人気で第一日に一着となつた斉藤選手は七着、第一日には問題とされていなかつた馬場選手が一着、佐藤選手が二着、トップ引きの吉田選手が三着になつているのである。」という趣旨の記載がなされていることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

3 前記1の第二日目第八レースについて

(1)  <証拠>を総合すれば、前記1の第二日目第八レースは二、〇〇〇メートル(六周)A級準優競走であつたこと、原告はスタート後終始大野選手をマークして第三周回三番手に位置し、その後変化なく走行したが、第五周回第四コーナー通過後大野選手が内藤選手をかわし先行態勢に入つたところ、原告は大野選手に続かず、内藤選手について内側に進路をとつたため、後方から続く他の選手に包囲されて六着となつたこと(原告が六着になつたことは前記のとおり当事者間に争いがない。)が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  <証拠>を総合すれば、前記1の第二日目第八レースにおいても第一日目第一〇レースと同じく村井登が審判長を務めたが同人をはじめ当日の他の審判員たちは、長年にわたる審判業務の経験と感覚から、原告がマークしていた大野選手が第五周回第四コーナー通過後に内藤選手をかわして先行態勢に入つたにもかかわらず、原告が大野選手に続かず、内藤選手について内側に進路をとつたことは原告が故意にそうしたものであつて、入着する意志をもつていなかつたためであると判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  <証拠>によれば、前記1の第二日目の各レースの車券の売上高が別表(八)記載のとおりであつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、右第二日目の車券の売上高は原告が出走した第八レースにおいて上昇し、第九レースにおいては下降していることが明らかであるが、<証拠>を総合すれば、競輪の競走は通常一開催を六日間とし、毎日一〇レースを行ない、競輪選手は過去の成績によりA級(上級)とB級(下級)に格付されているが、毎日のレースはB級、A級の順で、しかも第一レースより第一〇レースまで順次興味がたかまるように番組が編成されていること、過去の実例につき被告日自振が統計をとつたところによれば、ファンの投票すなわち車券の売上は毎日第一レースから第一〇レースまで回を追つてその売上高が上昇していくのが通常であるが、例外的に車券の売上高が途中で異常に上昇し、その後また下降するという場合があり、これを異常売上と呼んでいるが、その割合は全体の三ないし四%見られること、その異常売上の原因としては、特別に興味のわく番組が途中のレースに組まれていたり、天候や汽車の時刻等の関係からファンが帰りを急ぎ最終レースを待たずに途中のレースで多数の車券を買うといつた場合のほか、いわゆる八百長などの不正が途中のレースに仕組れているような場合が考えられること、被告日自振は前記1の第二日目の車券の売上状況は異常売上であり、不正競走の容疑によるものではないかと判断したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(4)  <証拠>によれば、原告は昭和四三年二月二七日付で弁明書(第一回)と題する書面を作成しているが、そこには前記1の第二日目第八レースの展開につき「このレースでは私と斉藤選手が本命人気を二分しているが、私はこのレースに出走したメンバーのうち早駈といわれ、何が何でも逃げるタイプの大野選手を直かにマークしてゴール寸前まで風圧を避けて力をためておき、斉藤選手が追い込みに入る一歩前に新人の甘さのある大野選手を押えて先頭に立ち逃げきる作戦を立てていたと思う。さて、レースは私の予想どおりに進んだが、大野選手も私の作戦と似た作戦で、たまたま前を走つていた内藤選手を利用しようと思つたのか大野選手にしては珍しく打鐘後四コーナーを廻つても一向に先行する様子が見られなかつた。そこで、私はこの競輪場が一周三三三メートルの短走路であるところからこのまま三番手で廻つたのでは万一前二者を外から追い抜けないおそれがある一方、大野選手は新人の甘さがあるので私が内側から競りかければ容易にその位置を明け渡させることができると確信したので、内側から大野選手をはね上げに行つたところ、計算どおりに同選手は私にその位置を明け渡した。これにより私の当初の作戦は一応軌道に乗つたわけであるが、たまたま先頭にいた内藤選手は追込み差し型の選手であり逃げが不得手であつたためかピッチがあまり上がらなかつたので、大野選手は私に外へ放り出されたその勢いで先頭の内藤選手を『カブ』せて先行逃げの態勢に入つてしまうという思わぬ状態になつてしまつた。しかし、私が内をついて大野選手を放り出しに行つたことがこのときのもつとも合理的な方法であつたことは、山田選手が大野選手の後位につかずに私をマークして来たことだけからしても明白である。しかし、たまたま内藤選手が追い込みの脚質であつたためかピッチがそれほど上がつていなかつたことが大野選手や斉藤選手に幸いし、私や山田選手に災いした形となり、内藤選手が私の命取りとなり、私は動きがとれなくなつてしまつたのである。私が故意にすなわち意識的にインにコースをとつたことは間違いないことであるが、それは負けるためにではなく、勝つためにこそとつた行為であり、ただ途中から計算どおりにいかなかつたため後続車に『カブ』されたにすぎないのである。私には不正などまつたくない。」という趣旨の記載がなされていることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

4 <証拠>によれば、中部自転車競技会富山県支部は、昭和三九年六月二七日付で同競技会本部を経由して被告日自振に対し、前記1の第一日目および第二日目の各レースにおける原告の走法等につき不正競走容疑関係を理由に事故競走報告書を提出するとともに、同月一二日付で右と同じ理由のもとに原告に関するあつせん辞退の申出をし、その後も右申出を更新したことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一〇)  原告が昭和四一年六月一二日大垣競輪場内において競輪選手橋本国彦の左頬を殴打したことは当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、原告が橋本国彦選手の左頬を殴打したのは、同人が同人のアリバイとして被告日自振に対し一週間位原告のところへ行つて遊んでいた旨述べたことに対し、原告が被告日自振から取調べを受けたので、何故そのようなことを述べたのか橋本国彦選手に会つて事情を確めようと思い、原告が大垣競輪へ出場していた橋本選手を訪ね、同競輪場の管理室において、中部自転車競技会岐阜県支部の職員や競輪選手松野健ら二、三名の立会いのもとに、橋本選手に会つて前記事実に関し質問したところ、同選手がぶつきらぼうに知らない旨を答えたため、原告が興奮して橋本選手の左頬を平手打ちしたものであることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一一)  <証拠>によれば、別表(九)記載のレースには原告が出走したが、いずれも異常売上の現象があつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上(一)ないし(一一)に認定した事実にもとづいて原告に本件登録規則二一条七号の事由があつたかどうかを検討する。

本件登録規則二一条は、競輪選手の登録消除事由として七つの事由を掲げている。すなわち、一は「第五条に規定する届出を怠り、または虚偽の届出をしたとき」というものであり、二は「不正な方法により選手資格検定または選手登録更新を受けたことが明らかになつたとき」、三は「競走に関し不正な行為をしたとき」、四は「競走の成績が不良であるとき」、五は「身体に故障を生じ競走の能力を欠くに至つたと認められるとき」、六は「正当な理由がないのに一年以上引き続き競輪に出走しなかつたとき」、七は「前各号に掲げるもののほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるとき」というものである。ところで、本件登録規則二一条の二は「選手資格検定および選手登録更新検定の方法および合格基準ならびに選手登録の消除の方法および基準については、自転車競技法第一二条の一八第一項〔業務方法書〕の規定により日本自転車振興会が通商産業大臣の認可を受けて定める業務の方法による。」と規定し、これを受けて本件業務規程八七条は「本会は、選手が次の各号の一に該当するに至つたときは、登録規則第二一条の規定に基づき、その登録を消除する。」として一五の事由をあげている。すなわち、一は「登録規則第五条に規定する届出を怠り、または虚偽の届出をしたとき」、二は「不正な方法により選手資格検定または、更新検定を受けたことが明らかになつたとき」、三は「男子B級および女子選手にして、各級別審査期より過去三期間(出走回数六回以下の期間は含まない)の級別審査対象成績がともに3.8点以下となり、別に定める三回の審査のいずれにおいても不合格となつたとき、およびこの審査を受けなかつたとき」、四は「本会の指定する医師の診断により、身体の故障により競走能力を欠くに至つたと認められるとき」、五は「正当な理由がないのに一年以上引き続いて競輪に出走しなかつたとき」、六は「競走に関し、不正協定の申し込みをなし、またはその協定を受諾し、もしくはその協定を実行したとき」、七は「競走に関する不正な行為について、謀議し、または不正な行為の申し込みを受けてこれを受諾し、もしくは実行したとき」、八は「競走に関する不正な行為の申し込みまたは受諾について仲介し、もしくは申し込み、受諾、または実行を幇助したとき」、九は「競走に関し、不正の目的をもつて、他人と連絡し、または他人に対し、情報を提供したとき」、一〇は「競走に関し、不正の目的をもつて、他の選手に対し、暴行し、脅迫し、または財物その他の利益を与え、もしくは与えることを約束したとき」、一一は「前号の場合において、財物その他の利益を受け、または受けることを約束したとき」、一二は「競走において、不正の目的をもつて自己の全能力を発揮せず、または他の選手の全能力を発揮させなかつたとき」、一三は「不正の目的をもつて、他の選手の競走を妨害、その他の方法により不利にし、または有利に導いたとき」、一四は「甚だしく選手の体面を汚す行為をしたとき」、一五は「前各号に掲げるもののほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があつたとき」というものである。右業務規程八七条一号は本件登録規則二一条一号と、右八七条二号は右二一条二号と、右八七条五号は右二一条六号とそれぞれ同じ事由であり、右八七条三号は右二一条四号を、右八七条四号は右二一条五号のそれぞれ認定基準を定めたものであり、右八七条六号ないし一三号はいずれも右二一条三号にいう競走に関する不正行為の内容を具体化したものであり、右八七条一四号、一五号は右二一条七号に関するものとみることができる。ところで、<証拠>を総合すれば、競輪は公営賭博としての性格をもつものであり、一瞬のうちに多額の金銭の得喪が決せられるため、不審な走行が行なわれた場合には多数のファンが激昂し場内が激発する危険性のあるものであること、競輪が発足した昭和二四年から昭和四二年までの間に全国で紛争事件は一五四件、騒擾事件は一四件発生したが、そのうち選手の責に起因するものは紛争事件が一〇一件、騒擾事件が一二件と大半を占めていること、なかでも人気選手の凡走(着外)や「チギレレース」等に起因するものが紛争事件で七七件、騒擾事件で六件ともつとも多いことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はないところ、右事実を本件登録規則二一条および本件業務規程八七条の規程の仕方に合わせ考えれば、本件登録規則二一条七号にいう「公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるとき」とは競輪競走の公正安全な実施の障害となる場合を広く指し、これには同条三号あるいは四号に準ずるような場合、すなわち、同条三号あるいは四号に該当すると断定することはできないが、右に該当するのではないかとの合理的な疑いがある場合、競走の態度にしばしば不審な点がみられる場合、甚だしく選手の体面を汚す行為をした場合なども含まれると解するのが相当である。

そこで、右のような観点から前記(一)ないし(一一)に認定した事実をみるに、前記(一)ないし(七)に認定したように、原告は各地の自転車振興会からあつせん辞退(配分忌避)の申出を受け、昭和三三年五月二七日から昭和三六年一月一〇日までは被告日自振から特別あつせん辞退選手に指定されて特別に原告の参加を希望する競輪施行者の場合を除き競走から排除されていたこと、前記(八)および(九)に認定したように、昭和三八年五月開催の大阪競輪および昭和三九年五月開催の富山競輪において原告はいずれも審判員たちからみてきわめて不審に思われる走行をして着外になつたのみならず、異常投票や異常売上の現象もみられたこと(なお、前記(八)2(4)、同3(4)、同4(3)、(九)2(4)、同3(4)において認定したように、原告は右大阪競輪および富山競輪の各レースにおける原告のレース展開につき、勝利を得る意志をもつて全力を尽くしたのであるが作戦上の失敗等により結果的に不成績に終つたにすぎないものである旨をるる記載した弁明書を作成しているのであるが、次に述べるとおり、いずれも各レースにおける審判員たちの不審感ないし疑惑を解くに十分でない。まず、大阪競輪第四日目第九レースにおける原告のレース展開についてであるが、証人池田一馬の証言によれば、大阪競輪場は一周五〇〇メートルの長走路であるが、走路の幅員が他の一周五〇〇メートルの走路をもつ競輪場のそれよりも狭いため必ずしも追い込み型の選手に有利であるとはいえないことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はなく、結局、原告が最終周回第四コーナーを過ぎてゴール前三〇メートル線付近まで先頭を維持していながら、右三〇メートル線付近からそのスピードが目に見えて落ちたことに対する弁明が十分でないといわなければならない。大阪競輪第五日目第一〇レースにおけるレース展開について、原告はマークしていた先行逃げの型野崎選手が杉本選手らの後続選手らに押えられたので、原告も野崎選手について後退するよりほかに仕方がなかつた旨弁明しているのであるが、長年にわたる審判業務の経験と感覚から審判員たちは原告が杉本選手らの後続選手のうちの誰かに乗り換える余裕があつたのにこれをしなかつたものであると判断しており、原告の弁明をもつてしても右審判員たちの判断が恣意的ないし不合理なものであることを認めさせるに十分でない。大阪競輪第六日目第七レースにおけるレース展開について、審判員たちは原告が最終周回第三コーナーで突然ふむ足を休めて故意にスピードを落したものであると判断したものであるところ、原告は大阪競輪場のコーナーの傾斜角度が浅く遠心力で放られて無駄な力を使い、そこを江村選手に原告を引きつけ外に斜行するという妨害をされたことが致命的な敗因である旨弁明しているが、証人池田一馬の証言によれば、審判員たちからみて江村選手による妨害は認められなかつたというのであり、原告の弁明をもつてしても審判員たちの判断が恣意的であることを認めるに十分でない。次に、富山競輪第一日目第一〇レースにおけるレース展開について、審判員たちは原告が斉藤選手に競り負けたように見せかけ自己の脚質を無視し全能力を発揮せずにずるずる後退したものであると判断したものであるところ、原告は斉藤選手との併走に脚力を消耗し残念ながら競り負けたものである旨弁明しているが、右レースにおける第五周回のラップ・タイムは26.9秒であつて富山競輪場における第五周回の平均ラップ・タイムが23.4秒であることは前記のとおりであるから、原告の弁明はピッチの遅いレースで脚力を消耗したという点に不自然さがあり、審判員たちの判断が恣意的であることを認めるに十分でない。富山競輪第二日目第八レースにおけるレース展開につき、審判員たちは原告がマークしていた大野選手が第五周回第四コーナー通過後に先行態勢に入つたにもかかわらず、同選手に原告が続かず内藤選手について故意に進路を内側にとつたものであると判断したものであるところ、原告はマークしていた大野選手が一向に先行しないので内側から同選手に競りかければ同選手は新人の甘さがあるため容易にその位置を明け渡させることができると考え、意識的にそのような進路をとつた旨弁明しているが、大野選手にその位置を明け渡させてもその前には追込み差し型の内藤選手がいるというのであるから、第五周回の第四コーナーという時点で故意に内藤選手の後につくという点に不自然さが感じられ、原告の弁明をもつてしても審判員たちの判断が恣意的であることを認めるに十分ではないといわなければならない。もとより競輪の競走はスピードを競うものであり、風圧の影響、選手同士のかけひき、選手の体調等々によりレースの展開が微妙な影響を受け、予期せぬ結果を生む可能性があることは弁論の全趣旨およびこれにより成立が認められる甲第四八号証によつて認められるところであるが、<証拠>を総合すれば、競輪審判員はたえず迅速適確な判断に習熟するよう努力を重ねており、レースの実施にあたつて多数の審判員がそれぞれの部署・立場からレースの経過を観察しこれを記録するように組織されており、不審や疑惑のある走行については審判員たちが合議を行ない、審判長が判定していることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はないので、長年審判業務にたずさわり、豊富な知識と経験を有する審判員たちがある走行につき不審や疑惑を抱いた場合には、それが恣意的であることを認めるに足りる特段の事情が認められないかぎり、これを尊重するほかはない。以上要するに、前記大阪競輪および富山競輪の各レースに関する審判員たちの不審感ないし疑惑が恣意的であることは原告の詳細な弁明によつてもこれを認めるに十分でなく、右不審感ないし疑惑は解消されるに至らないものというべきである。さらに、前記(八)2(5)、同3(5)、同4(4)において認定したように、予想紙を発行している有限会社競輪研究社の代表取締役西谷勝治および取締役籾山正夫は昭和四二年一一月八日原告らに対し前記大阪競輪における各レースは異常なレースではないと断言する旨述べているのであるが、右西谷勝治や籾山正夫が前記大阪競輪における審判員たちよりもレースの展開や走法に関しより深い知識や洞察力をもつているものであることを認めるに足りる証拠はなく、右西谷勝治らの供述をもつてしても前記大阪競輪における審判員たちの判断が恣意的であることを認めるに十分でない。)、そして、近畿自転車競技会大阪府支部や中部自転車競技会富山県支部から競輪事故報告書が提出されるとともに原告に関するあつせん辞退の申出がなされたこと、前記(一〇)で認定したように原告が暴力を振つたこと、前記(一一)で認定したように原告が出走した多くのレースにおいて異常売上の現象が認められたことを総合すれば、原告には不正競走をしたのではないかとの合理的な疑いがあり、競走態度にもしばしば不審な点がみられ、しかも選手の体面を汚す行為にも及んでいるので、本件登録規則二一条七号にいう「公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由があるとき」にあたると解するのが相当である。

してみれば、本件登録消除処分は本件登録規則二一条七号にもとづいてなされたものであつて、実体上は適法というべきである。

五本件登録消除処分の手続上の適否

原告は本件登録消除処分の手続上の違法事由を種々主張するので、順次検討する。

(一)  弁明の機会を与えなかつたとの主張について

原告は、被告日自振が本件登録消除処分をする前に原告に対しまつたく弁明の機会を与えなかつたが、この点において、同処分は違法である旨主張する。

しかしながら、<証拠>を総合すれば、被告日自振の業務第二部選手第二課の課長その他の職員は、本件登録消除処分をするまでの間に昭和四〇年八月六日、昭和四一年一月一三日、昭和四二年六月二日の三回のほかあと二、三回原告に会い、被告日自振において疑惑を抱いたレースの名前等を告げるとともに原告の弁明を聴取したこと、とくに右昭和四一年一月一三日には原告の供述調書が作成されていることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

してみれば、原告の前記主張は失当である。

(二)  約二年間漫然とあつせん保留を続けたとの主張について

原告は、被告日自振が本件登録消除処分をする前約二年間にわたり漫然と本件あつせん保留を続けたが、この点において同処分は違法である旨主張する。

被告日自振が約二年間にわたり本件あつせん保留をしていたことは前記認定のとおり当事者間に争いがない。しかしながら、競輪選手の登録消除処分をする前に必ずあつせん保留をしなければならない旨を定めた規定は存在せず、あつせん保留は登録消除処分の必要的な前置手続とはいえないので、あつせん保留の適否が直接登録消除処分の適否につながることはないと解すべきである。

してみれば、本件あつせん保留の適否について判断するまでもなく、原告の前記主張は失当である。

(三)  具体的事実を認定しないまま本件登録消除処分を行なつたとの主張について

原告は、被告日自振が具体的事実を認定しないまま本件登録消除処分を行なつたが、この点において同処分は違法である旨主張する。

しかしながら、成立に争いがない乙第三九号証に証人吉田正治および同石田文雄の各証言を総合すれば、被告日自振は本件登録消除処分をするにあたり本件業務規程の定めるところに従い登録消除審議委員会の決定にもとづきこれをしたものであるが、同委員会においては本訴において被告らが本件登録消除処分の具体的理由として主張している事実(被告らの主張三(七)の事実)の概要が認定され(とくに、右三(七)2(1)および三(七)3(1)の事実についてはある程度詳細に)、この事実を総合すれば原告には公正かつ安全な競走を行なうに不適当な事由があつたと認められるとして、原告の登録を消除する旨の結論を出していることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

してみれば、被告日自振は具体的事実を認定しないまま本件登録消除処分をした旨の原告の前記主張は失当である。

(四)  本件登録消除処分の通知にあたり処分理由該当事実を告知しなかつたとの主張について

原告は、被告日自振が本件登録消除処分を原告へ通知するにあたり登録消除理由に該当する事実をまつたく告知しなかつたが、この点において同処分は違法である旨主張する。

しかしながら、競輪選手の登録消除処分を当該競輪選手へ告知するにあたり、その処分通知書に登録消除理由に該当する事実を記載するとかその他の方法により右事実を告知することを義務づけた規程はなく、また、登録消除処分は競輪選手の身分・資格を剥奪する不利益処分であるが、一般に、不利益処分の告知にあつては被処分者に処分理由に該当する事実を告知しなければならないという法理も存在しない。

してみれば、原告の前記主張も失当である。

以上のとおり、原告が本件登録消除処分の手続上の違法事由として主張するところのものはすべて失当であるから、本件登録消除処分は手続上も適法である。

六本件あつせん保留の適否

被告日自振が昭和四〇年八月六日以降昭和四二年七月二六日付で本件登録消除処分をするまで約二年間にわたり原告に対し競輪出場のあつせんを保留していたこと(本件あつせん保留をしたこと)は、前記認定のとおり当事者間に争いがない。

被告らは、本件あつせん保留は本件業務規程一二六条一項三号にもとづいてしたものである旨主張する。

右一二六条一項は「本会は、選手に次の各号の一に該当する事由が生じたときは、それぞれの期間当該選手に対する出場あつせんを保留することができる。」と規程し、その三号において「第八七条の規程に該当するおそれがあつて本会がその調査を開始したときは、一月以内においてその調査中および審議中の期間。ただし、当該選手の参加が甚だしく競輪の公正安全を害すると認められるときは、これを延長することができる。」と規程していた。したがつて、右条項号によりあつせんを保留することのできる期間は、原則として一月以内であり、例外的にその期間を延長することができるようになつていたものである。右延長の回数や期間についてはとくにこれを定めていなかつたので、解釈上これを制限すべきかどうかが問題となりうるわけあるが、その点はさておき、少なくとも期間の延長が許されるためには(1) 登録消除事由の存否につき調査および審議を継続する必要があり、(2) 当該選手を競輪に参加させることが甚だしく競輪の公正安全を害すると認められる場合でなければならないのである(なお、その後昭和四二年一二月一八日に右一二六条一項三号は改正され、「第八七条一項の規定に該当するおそれがあつて、本会がその調査を開始したときは、三月以内において、その調査中および審議中の期間。ただし、やむを得ない事由があると認められるときは、その期間を延長することができる。この期間の延長は、通じて二月をこえることができない。」こととなり、同条項号にもとづくあつせん保留の期間は最大限五月となつた。)。

そこで、本件あつせん保留につき右に述べたような観点からその適否を検討するに、前記四(八)5、四(九)4および五(一)で認定した事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

被告日自振は、昭和三八年五月三〇日ごろ近畿自転車競技会を経由して同競技会大阪府支部より同月開催の堺市営第一回大阪競輪第四日目ないし第六日目の各レースにおける原告の走法等に関する事故競走報告書をレース経過表その他の添付書類とともに受領し、そのころ右大阪府支部より原告に関するあつせん辞退の申出を受け、また、昭和三九年七月四日ごろ中部自転車競技会を経由して同競技会富山県支部より同年五月開催の富山市営第三回富山競輪第一日目および第二日目の各レースにおける原告の走法等に関する事故競走報告書を審判長競走評その他の添付書類とともに受領し、そのころ右富山県支部より原告に関するあつせん辞退の申出を受けた。その後、昭和四〇年六月ごろ大阪で暴力団に関係したいわゆる互久楽会事件なるものが発生し、不正競走の容疑で数名の競輪選手が逮捕されたが、近畿自転車競技会より原告もその捜査線上にあるのではないかとの連絡が被告日自振へなされた。そこで、被告日自振では同年八月六日原告を呼び、前記大阪競輪に関する不正競走容疑等について説明を聞くとともに、あつせんを保留する旨を告げた。その後二、三度被告日自振と原告との間に接触があり、昭和四一年一月一三日には原告の供述調書が作成された。被告日自振において競輪選手のあつせん保留や登録消除事務の主管課である業務第二部選手第二課の課長をしていた吉田正治は、いろいろ事情を調査した結果、同年三月ごろには原告に対する不正競走の容疑が非常に濃いので原告を再び競輪へ参加させることは危険であると判断し、原告が自主的に登録消除の申請をするよう勧告した方がよいとの結論に達し、競輪選手の団体である日本競輪選手会に相談をし、同選手会は岐阜県競輪選手会を通して何度となく自主的に登録消除の申請をするよう原告へ勧告したが、原告はこれに応じなかつた。同年八月一五日付で被告日自振は原告に対しあつせん保留延長通知を出した。同年一一月被告日自振の業務第二部選手第二課長が吉田正治から石田文雄に代つたが、その際石田文雄は吉田正治から原告については登録を消除することになつているのでそのように処置して欲しい旨引継ぎを受けた。石田文雄は昭和四二年一月ごろまでの間に引継ぎを受けた資料を検討したり、実情を調べた係の職員の話を聞いたり、あるいは関係の自転車競技会へ問い合わせをするなどして事案の把握に努めていたが、日本競輪選手会の西事務局長より、同選手会の方からも原告へ自主的に登録消除の申請をするよう勧告をしているが、新しく被告日自振の業務第二部選手第二課長になつた石田文雄の方からも勧告をして欲しい旨の話もあつたので、同年二月二一日岐阜県へ赴いた。しかし、原告は石田文雄との会合に出席せず、原告の父赤岡要之助が出席した。席上、石田文雄は被告日自振の方で疑惑を抱いているレースの内容について説明するとともに、原告は競輪選手として不適格であるからやめて欲しい旨を伝えた。その後数度、原告が被告日自振を訪れたりあるいは被告日自振の方で原告を呼んだりして、石田文雄と原告との間に接触がもたれ、石田文雄から自主的登録消除申請の勧告がなされたが、原告はこれに応じなかつた。ところで、被告日自振においては、同年一月ごろから被告日自振の理事のほか全国競輪施行者協議会、日本競輪選手会および自転車競技会からそれぞれ推せんを受けた者を委員とする選手資格審査会なるものを作り、競輪選手の登録を消除するにあたり消除事由の存否に関し専門的知識と判断が必要である場合には右審査会の審査を経るようにしようとの動きが具体化し始め、同年四月初めごろ本件業務規程の改正についての認可申請をし、同年六月ごろ通商産業大臣の認可を受けた。そして、同月二四日原告の登録消除に関し選手資格審査会の審査にかけられ、登録消除相当の結論が出され、さらに、同年七月二六日登録消除審議委員会が開かれ、原告の登録を消除すべできあるとの結論が出され、本件登録消除処分がなされるに至つた。

以上の事実が認められる。

次に、<証拠>によれば、原告とほぼ同じ時期に被告日自振よりあつせんを保留され、原告と同じく約二年間にわたりあつせん保留の期間を延長されていた鳥山厳也が東京法務局長に対し人権擁護の申立てをしたところ、同局長は調査のうえ、あつせん保留の期間が不相当に長く、競輪選手の生活上の地位を不安定にし生活権を侵害しているが、これは人権上も問題であるとして被告日自振の業務第一部長らにその旨説示をしたこと、この点に関し、法務省人権擁護局長堀内恒雄は、昭和四二年八月一八日開かれた第五六回国会衆議院商工委員会において、本件業務規程一二六条一項三号に「八百長をした疑いがあつて日本自転車振興会が調査を開始したときは、一月以内においてその調査中及び審議中の期間その当該選手に対する出場あつせんを保留をすることができる、なおその保留期間は一カ月以内である。そういうふうに規定をいたしまして、保留期間というものは一カ月であるということを明らかにしておるわけであります。なお、ただし書きがついておりまして、この期間を延長できるという旨を規定しておりまして、しかもその延長期間につきまして制限する規定はございませんけれども、右の本文の規定の趣旨からいたしますと、調査及び審議に通常要する以上の期間を保留することは妥当でない、こういうふうに考えるわけであります。したがいまして、本件の場合、振興会におきまして約二年もの間保留期間を延長した、そしてその二年の間におきまして三回程度本人から事情を聞きましてまた警察などから情報を集めたほか、関係者、選手一名につきまして事情を聞いた。そういう程度であることがわかりましたのでありますが、振興会は本人から結論を早く出すようにという要望があつたにもかかわらず、同人が自発的にやめるというようなことを期待していたらしくて、結論を出さないままで放置しておいたということが認められたわけであります。これは先ほども述べましたように、この選手をしまして不当に長期間に不安定な状態に置いたということになりまして、生活権が侵害されておる、こういうふうに考えられましたので、東京法務局におきまして振興会の業務第一部長らに対しまして右の点を説示いたした次第でございます。」と述べていること、また、本件あつせん保留の期間が約二年間にも及んだことについて、同日の衆議院商工委員会において、通商産業省重工業局長高島節男は「ただ、二年間こういう状態でまいつたということは、私は、結果的に見まして非常によろしくない、むしろ、登録の消除なり何なりするならするで、ある時期で決断をすべきではなかつたのか、こういう感じがいたしまして、その点は遺憾に存じておりますが、現在の制度でまいりますと、非常に不正な行為をした、競技法違反といいますか、そういうたてまえのところまでいつておるということのほか、公正かつ安全な競走を行なうに不適当と認められる理由がある場合、現在の認可を受けました業務方法書の事項の中で登録消除に至ります根拠規定がございます。この根拠規定によつて、ある時期にむしろよしあしの決心をみずからすべきではなかつたか、あとからでございまがすこういう感じがするわけでございます。それでこういう手続をやつてまいります際に、自転車振興会の気持をそんたくいたしますと、途中でやはりできるだけ自発的に退いてもらうというところをねらいまして、何回も事情を聴取したりいたしまして、穏やかに済まそうという気持がどうも強かつたように見受けられます。それが先ほどの、少し筋が乱れておりますが、新聞における発言等の気持にもどうも反映しておるようにも見られる。それで今後のやり方としましては、こういつた人の権利に関する問題でございますから、慎重に大いにやらなければいけないという面はございますが、それが逆に、解決をつけないでいつまでも長くなつてしまうということはかえつて逆効果になるので、公正かつ安全な競走を行なうのに不適当だということが認められているという認定は、ある時期においてはつきりとやつて、問題の処理をきれいにしていくということは必要ではないか、この点は特に振興会のほうにも注意をいたした次第でございます。」「私もその間の調査、審議の実態はよく存じませんが、振興会の立場といたしましては、本件は非常にむずかしい案件と思いまして、調査をし、審議をしながらその期間をこれに基づいて更新してまいつた。そして二年まで更新してきた、こういうことでございます。それに気がつきましたので、むしろある段階において――それだけあつせん保留の期間を長くするということは、むしろかえつてこちらが何といいますか穏やかに済まそうという議論だけでいつておつてはかえつてものごとの本質を誤るゆえんではないか、これも適当なところで、保留の期間を延ばしてはいかぬとは申しませんが、適正な良識があるわけで、早く決意して打ち切つて、登録を消除するかしないかということをやるべきではないかということを警告しました。その結果、登録消除に踏み切つた。非常に長くわたりましたことは、私よろしくないという感じを持つております。」「自転車振興会のほうから私の承つておりますところの内容を御説明いたします。先ほど法務省からもお話がちよつとございましたが、事情聴取を三回にわたつてやつておりますが、その間に自転車振興会側として非常に苦慮いたしましたのは、こういう形で登録の消除ということは極力避けたいという気持があつたわけであります。これは気が弱い面もあると思いますが、かどが立たないように処理したいという気持がかなり強かつたことと、それから自発的な退職かそうでないかでは共済会の退職給与にもいろいろ響いてくるという実際上の問題もございまして、そこらを頭に置いて極力自発的に退職されることを勧奨してまいつた、こういう感じのようでございます。それは先ほど私が申しましたように、ややそちらに流れると今度は秩序が立たなくなるし、かえつて当人自身をつらい立場に追い込んでいくということにもなりますので、やはり方はぴつたりとやつていくべきではないかと思います。ちよつと私の感じで申しますと、業務方法書のあつせんを保留をいたします際に一カ月で調査がはたしてつくのかどうかということになりますと、非常にむずかしい性格の問題で、どうするかということの判断もいろいろできるかと思います。一カ月ということは短きに失するのではないかという感じは一つございますが、これを延長することができるというたてまえになつておるからといつて、ただ延長するということはどうも処分として妥当性を非常に欠くのではないか。したがつて、その点は厳重に注意いたしまして、今後の運営方法もひとつ考えてみたい、こういうように感じております。」と述べていることが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、被告日自振における競輪選手の登録消除事務の主管課である業務第二部選手第二課では、昭和四一年三月ごろまでには原告に関する登録消除事由の存否の調査を終り、不正競走の容疑が非常に濃いので再び競輪に参加させることは危険であると判断するに至つたが、ことを穏便にすませようと思つたためと原告より自主的に登録消除の申請をさせた方が退職金の面で原告に有利であることなどからただちに登録消除処分をすることなく、あるいは日本競輪選手会を通して、あるいは自ら原告に対し右申請をするよう勧告をしていたものであると考えるのが相当である。

この点に関し、被告らは、本件あつせん保留の期間が約二年間に及んだのは(1)被疑事実が非常に多く、(2)本件あつせん保留中にも暴力団の引起しに不祥事件に関与したかのごとく名前が浮ぶなど底知れぬ疑惑が充満していて調査に多くの日時を要したこと、(3)競輪選手の擁護団体である日本競輪選手会も原告の競輪選手としての不適格性を確認して長期間にわたり原告に自発的登録消除の申請をするよう勧告していたこと、(4)登録消除を恣意的に行なわないために選手代表等を審議に参加せしめるための選手資格審査会の設置手続に若干の日時を要したこと、(5)登録消除事務担当の責任者に交替があり、後任者が慎重を期して自ら確信するだけの調査を繰り返したことなどによるものであつて、約二年間にわたりあつせんを保留したことは適法である旨主張する。

しかしながら、被告らの右主張のうち(1)の点については、なるほど原告に対する被疑事実すなわち登録消除理由に該当する事実は前記四の(一)から(二)までに認定したように多数にわたるが、そのうち(一)から(六)までの事実は昭和三三年以前の事実であつて被告日自振においてもこれらの事実のため同年五月二七日から昭和三六年一月一〇日まで原告を特別あつせん辞退選手に指定していたというのであるから(同(七))、それらの事実に関する資料は被告日自振に保管されていたものと考えられ、(八)の事実については大阪競輪の直後である昭和三八年五月三〇日ごろにまた(九)の事実についても富山競輪の後まもなくの昭和三九年七月四日ごろにはそれぞれ事故競走報告書等の資料が被告日自振へ送られて来ており、(一〇)の事実は昭和四一年六月一二日の出来事であるが、その調査にそれほどの日時を要するものとは思われず、(二)の事実も車券の売上状況を検討することによつて把握できることがらであつてそれほど調査に日時を要するものとは思われず、結局、これらの事実全部を調査するのに約二年間もかかるとはとうてい考えられないこと(事実、本件登録消除処分を維持するために被告らが本訴において提出した証拠のうち、昭和四一年三月ごろ以降にとくに収集したというものはみあたらない。)、(2)の点については、なるほど昭和四〇年六月ごろ大阪で暴力団に関係したいわゆる互久楽会事件なるものが発生し、不正競走の容疑で数名の競輪選手が逮捕された際、近畿自転車競技会より原告もその捜査線上にあるのではないかとの連絡が被告日自振へなされたことは前記認定のとおりであるが、本件全証拠によるも原告が右事件に関連して逮捕されたりその他取調べを受けた事実を認めるに足りないから、右のような連絡があつたからといつて約二年間もの調査期間が必要であるとは考えられないこと、(3)の点については、日本競輪選手会が被告日自振より相談を受け 岐阜県競輪選手会を通して原告に対し自主的に登録消除の申請をするよう勧告していたことは前記認定のとおりであり、また、登録消除事由がある場合にもただちに登録消除処分をすることなく、当該競輪選手に対し自主的に登録消除の申請をする機会を与えること自体は不合理とはいえず、右磯会を与えている間あつせん保留を延長していたとしてもその期間が合理的な範囲内のものであるかぎり違法と解すべきでないこと後記のとおりであるが、競輪選手の擁護団体である日本競輪選手会が自主的な登録消除申請の勧告をしていたからといつて、右合理的な期間をこえてあつせん保留の延長を続けることは適法とはいえないこと、(4)の点については、昭和四二年一月ごろから選手資格審査会制度を設けようとの動きが具体化し始め、本件業務規程の改正手続が進められ、同年六月ごろ右改正について通商産業大臣の認可を受けたことは前記認定のとおりであるが、選手資格審査会なるものが制度化されていなくても、事実上の措置として登録消除事由の否存につき日本競輪選手会等の意見を聴取し、選手資格審査会が制度化されている場合と同様の効果をあげることは何ら差支えないばかりでなく、事実、被告日自振(の業務第二部選手第二課長)が日本競輪選手会と原告の登録消除の件に関し相談をしていることは前記認定のとおりであるから、その際登録消除事由の存否についても意見を交換しているものと考えるのが相当であり、結局、選手資格審査会の制度化に日時を要したことをもつて本件あつせん保留の期間延長の正当事由とはなしえないこと、(5)の点については、なるほど昭和四一年一一月ごろ登録消除事務の責任者である業務第二部選手第二課長が吉田正治から石田文雄へ交替したことは前記認定のとおりであるが、登録消除事由の存否についての調査中に登録消除事務の責任者が交替した場合には交替しなかつた場合にくらべて調査期間が長くなつたとしてもそれはやむを得ないことというべきであろうが、右調査が終了していた場合には右交替をもつて調査期間が長くなることの正当事由とはなしえないというべきである。

してみれば、本件あつせん保留の期間が約二年間に及んだことを正当化しようとする被告らの右(1)ないし(5)の主張はすべて理由がないというべく、昭和四一年三月ごろには被告日自振における登録消除事務の主管課である業務第二部選手第二課において原告は関する登録消除事由の存否の調査を終つていたのであるから、その後の審議に要する期間やまた登録消除事由のあることがわかつた場合にもただちに登録消除処分をすることなく、原告に対し自主的に登録消除の申請をする機会を与えることは、その方が原告にとつて退職金の面で有利であることを考慮すれば必ずしも不合理であるとはいえず、右機会を考える期間が合理的な範囲内のものであるかぎりその間あつせん保留を延長していたとしても違法ではないと解するのが相当であるところ、その合理的な期間としては三か月もあれば十分であると解するのが相当であるので、これらの期間を考慮にいれたとしても昭和四一年八月ごろには原告の登録消除の件に関する調査および審議の必要はなかつたものと解するのが相当である。

すなわち、本件あつせん保留はそれが開始された昭和四〇年八月六日には本件業務規程一二六条一項三号にもとづき適法に開始され、その後も同号ただし書にもとづきその期間を延長されていたものというべきであるが(なお、原告の競輪への参加が甚だしく競輪の公正安全を害すると認めるときにあたることは、前記のとおり原告には本件登録規則二一条七号に該当引る事実があると判断すべきであることからも十分推認することができる。)、右開始後一年を経過した昭和四一年八月六日以降はあつせん保留の期間延長の要件を欠くに至り、違法になつたものと解するのが相当である(なお、右一年の期間は、前記のとおり昭和四二年一二月一八日以降本件業務規程一二六条一項三号にもとづくあつせん保留の期間が通算五か月をこえることはできなくなつたことと対比して、むしろ長すぎるきらいがないではないとはいえ、決して短かすぎることはないというべきである。)。

七本件異議決定の適否

原告の主張する本件異議決定の違法事由について、順次検討する。

(一)  鳥山厳也を原告の代理人として異議申立手続に関与させなかつた点において違法であるとの主張について

本件登録消除処分に対する異議申立事件において、原告がもと競輪選手であつた鳥山厳也を代理人に選任する旨書面で証明するとともに、被告日自振が原告に口頭で意見を述べる機会を与えた際に原告より鳥山厳也を代理人として手続に関与せしめたい旨の申出をしたこと、被告日自振がこれを許さなかつたため原告が不満を述べたことはいずれも当事者間に争いがない。

被告日自振は、原告が不満を述べたものの結局鳥山厳也の代理人選任の申出を撤回したものである旨主張する。

証人倉沢哲郎の証言中には被告日自振の右主張に副う部分があるが、これは証人鳥山厳也の証言および原告本人尋問の結果に照らしたやすく信用できず、他に被告日自振の右主張を認めるに足りる証拠はない(証人倉沢哲郎((右信用しない部分を除く。))および同鳥山厳也の各証言ならびに原告本人尋問の結果によれば、鳥山厳也を原告の代理人として関与させるかどうかが問題となつたのは、被告日自振が原告に対し口頭で弁明をする機会を与えた昭和四三年四月九日のことであること、同日被告日自振より鳥山厳也を原告の代理人として手続に関与させることを認めることはできない旨聞かされて、原告の代理人である高木義明弁護士((高木義明弁護士が原告の代理人として本件登録消除処分に対する異議申立手続に関与していたことは後記のとおり当事者間に争いがない。))が非常に強い不満を示し被告日自振といろいろやりとりをしていたが、結局、不承不承ながら原告が口頭で弁明をする席へ臨んだこと、しかし、その際高木義明弁護士は鳥山厳也を原告の代理人として手続に関与させないことを了承したわけではない旨を被告日自振へはつきり伝えたことが認められる。)。

ところで、被告日自振は、本件登録消除処分に対する異議申立事件において、原告の申出による弁護士二名(高木義明および大内英男)の代理人としての関与をむしろ歓迎した一方、原告には弁護士である代理人に不得意であると思われる特殊専門的な自転車競技に関する事実上の弁明があるかもしれないことを考え、あらかじめ事故競走報告書等の参考書類を交付してとくに十分に弁明の機会を与え、原告からもこれに対して競走上の諸点に関する弁明書等が提出されていたので、多数の代理人が関与することはむしろ手続の煩雑を増すのみで迅速な手続の進行を妨げるとの観点から、代理人の数を制限する立場をとり、異議申立手続に通暁しているとは思われない鳥山厳也が原告の代理人として関与することを拒絶したものであつて、原告に対し手続上の不利益を与えたものではないので、右拒絶は違法とはいえない旨主張する。

なるほど、本件登録消除処分に対する異議申立手続において原告が弁護士高木義明および同大内英男を代理人に選任し、被告日自振も右弁護士二名の代理人としての関与を認めたことは当事者間に争いがなく(もつとも、<証拠>を総合すれば、当初本件業務規程九二条、三八条が競輪選手に対する登録消除処分の異議申立ては代理人によつてすることができない旨定めていたため、被告日自振は高木義明弁護士が原告の代理人として手続に関与することを認めなかつたこと、そこで原告が代理人不許可処分の取消訴訟を東京地方裁判所へ提起し、同裁判所で話合いが行なわれた結果、被告日自振は競輪選手の登録消除処分に対する異議申立てを代理人によつてもすることができるように本件業務規程を改正することにし、昭和四二年一二月一八日通商産業大臣より右改正についての認可を受け、代理人を認めない旨の前記九二条によつて準用されていた三八条は削除され、新しく九二条によつて準用される三七条は行政不服審査法によつて異議申立てをすることができる旨を明定するに至つたこと((同法一二条一項は代理人により不服申立てをすることができる旨を定めている。))、その後、被告日自振は弁護士高木義明および同大内英男が原告の代理人として異議申立手続に関与することを認め、従来の審理をやり直したことが認められ、この認定に反する証拠はない。)、また、後記認定のとおり原告が事前に被告日自振より事故競走報告書等の参考資料を受領し、競走上の諸点に関する詳細な弁明書等を被告日自振へ提出しており、高木義明弁護士は原告の代理人として種々の観点から原告の権利利益を擁護するための活動をしていたものである。しかしながら、行政不服審査法一二条一項によつて認められている不服申立手続の代理人については、代理人に選任したことを書面で証明しなければならないほか(同法一三条一項)、その資格や人数を制限するような規定は何ら存在せず、代理人は各自不服申立人のために当該不服申立てに関する一切の行為をすることができるのである(同法一二条二項、この規定は代理人が複数選任されることを予定し、これを是認しているものといえる。)。そして、いかなる者を幾人代理人に選任するかはもつぱら不服申立人の意思によつて決められるべき事柄であり、不服申立てを受けた行政庁においてこれを決めたりあるいは干渉したりすべき事柄ではないから(代理人の人数についてもこれを制限しうる旨の規定がない以上、法はこれをいかほどにするかを不服申立人の意思にかからしめていると解するのが相当である。)、被告日自振が原告の選任した鳥山厳也の異議申立手続への関与を拒絶したことは、行政不服審査法一二条に違反し、違法であるといわなければならない。

ところで、異議申立手続の過程において法令違反があつた場合にも、その違法性の程度が軽微であり、実質的にみて異議申立人の手続上の利益を侵害したものとはいえない場合には、その法令違反は異議決定の取消事由にはならないと解するのが相当である。

もつとも、行政不服審査法一二条の趣旨は、代理人が不服申立人に代つてかつ不服申立人のために不服申立手続に関する行為を行なうことにより、不服申立人の行為を代行しあるいは補充し、もつて不服申立人の権利利益の救済に便宜を与えようとするものであつて、異議申立手続において同条違反があつた場合には、その違法性は軽微とはいえず、原則として異議決定の取消事由になると解すべきであるが、本件登録消除処分に対する異議申立手続においては、前記のとおり、原告が弁護士高木義明および同大内英男を代理人に選任し、被告日自振も右弁護士二名の代理人としての関与を認めたこと、<証拠>を総合すれば、本件登録消除処分に対する異議申立後の昭和四二年九月七日被告日自振より証拠書類提出の有無等に関する照会書を受領した原告は、原告と同じころ被告日自振より競輪選手の登録消除処分を受け、同処分に対する異議申立てをしていた鳥山厳也とともに高木義明弁護士に相談し、原告および鳥山厳也の連名で登録消除事由に該当する具体的事実やその事実を認定するに至つた証拠を知らせてくれるかどうかなどを記載した同月一〇日付の質問書を作成して被告日自振へ提出したこと、その後、右質問書の質問事項等の件に関して原告や鳥山厳也の代理人である高木義明弁護士と被告日自振の代理人である風間克貫弁護士や雨笠宏雄弁護士との間に何度か折衝があり、原告および鳥山厳也は被告日自振より同年一〇月一三日付の回答書および証拠資料(原告が請求原因(四)3(4)で主張する証拠資料)を風間法律事務所で受領したが(右証拠資料を受領した事実は当事者間に争いがない。)、右回答書には原告に関する登録消除事由に該当する事実として被告らの主張三(七)2(1)および同3(1)に関する事実が記載されていたこと(この事実は当事者間に争いがない。)、同月一六日原告および鳥山厳也は再び風間法律事務所で事実関係書類やレース経過表、走行運行表等を受領したが、原告に関する事実関係書類には被告らの主張三(七)の事実がかなり抽象化されて記載されていたこと、同月二〇日被告日自振において登録消除審議委員会が開かれ原告も弁明のために出席したが、その席上原告に対し口頭で被告らの主張三(七)の事実をかなり抽象化して告げられたこと(同日口頭で右事実をかなり抽象化して原告に告げられたことは当事者間に争いがない。)、昭和四三年二月二五日原告は被告日自振より「通知ならびに照会」と題する書面を受領したが、その別紙には被告らの主張三(七)の事実の概略が記載されていたこと(原告が被告日自振より右事実をかなり抽象化して記載した文書を受領したことは当事者間に争いがない。)、原告および鳥山厳也は高木義明弁護士の指導援助のもとに被告日自振から指摘を受けた各レースの展開状況等につき詳細な弁明書等を作成し、厚さ一〇センチないし一五センチ位にわたる膨大な証拠書類等を被告日自振へ提出したこと、昭和四三年四月九日被告日自振において登録消除審議委員会が開かれて原告に弁明の機会が与えられ、原告は高木義明弁護士および大内英男弁護士とともに出席し弁明したが、その際高木義明弁護士らは原告のために積極的に発言したこと、原告は昭和四二年九月四日に本件登録消除処分の取消しを求める訴えを当裁判所へ提起したが、当初より高木義明弁護士と大内英男弁護士の両名が訴訟代理人に選任されており、原告に弁明の機会が与えられた前記昭和四三年四月九日ごろにはもつぱら高木義明弁護士が訴訟活動をしていたこと、同日には鳥山厳也にも原告と同じく弁明の機会が与えられていたことが認められ、これらの認定を動かすに足りる証拠はない。右に述べた状況のもとにおいては、被告日自振が鳥山厳也につき原告の代理人としての関与を拒絶したことは前記のとおり行政不服審査法一二条に違反するといわざるをえないが、これにより原告の代理人により不服申立てをすることができるという手続上の利益は実質的にみて侵害されたとはいえないので、その違法性の程度は軽微というべく、結局、本件異議決定の取消事由にはあたらないと解するのが相当である。

してみれば、鳥山厳也を原告の代理人として異議申立手続に関与させなかつた点において本件異議決定は違法である旨の原告の主張は理由がない。

(二)  本件登録消除処分の処分理由を告知しなかつた点において違法であるとの主張について

原告は、本件登録消除処分に対する異議申立てについて適正かつ十分な審理をするためには遅くとも審理の際には右処分の理由を告知すべきであるのに、被告日自振がこれをしなかつた点において本件異議決定は違法である旨主張する。

しかしながら、本件登録消除処分前の本件あつせん保留の期間中に被告日自振において疑惑を抱いていたレースの内容等につき原告が聞かされていたことは前記六で述べたとおりであり、同処分に対する異議申立手続において原告が数度にわたり登録消除事由に該当する事実の告知を受け、詳細な弁明書を被告日自振へ提出していたことは前記七(一)で述べたとおりであるから、原告の右主張は理由がない。

(三)  参考人の取調べに原告やその代理人を立ち合わせなかつたり証拠書類の閲覧謄写を拒んだ点において違法であるとの主張について

行政不服審査法においては、異議申立てを受けた行政庁が参考人を取り調べる場合に、異議申立人またはその代理人に対し右取調べに立ち会う権利を保障した規定はなく、また、異議申立人または代理人に対し証拠書類の閲覧謄写を請求する権利を保障した規定もない(同法四八条は、審査請求人に書類等の閲覧請求を認めた同法三三条の異議申立手続への準用をとくに排除している。)。

してみれば、被告日自振が参考人を取り調べるにあたり原告やその代理人を立ち合わせなかつたり、原告やその代理人からの証拠書類の閲覧謄写の請求を拒んだ点において本件異議決定は違法である旨の原告の主張は理由がない。

以上のとおり、本件異議決定が違法である旨の原告の主張はすべて理由がないので、それは適法といわなければならない。

八損害賠償義務

(一)  原告は、本件あつせん保留および本件登録消除処分はいずれも違法であり、これにより損害を受けた旨主張する。本件登録消除処分が適法であることは前記四および五で述べたとおりであり、また、本件あつせん保留のうち昭和四〇年八月六日から昭和四一年八月五日までのものが適法であることも前記六で述べたとおりであるから、これらにより原告が損害を被つたとしてもその賠償を請求することができないことはいうまでもない。

ところで、本件あつせん保留のうち同月六日から昭和四二年七月二五日までのものが違法であることは前記六で述べたとおりである。

そして、請求原因(五)1、2の事実を被告らは明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

してみれば、原告が本件あつせん保留のうち違法な部分によつて被つた損害は、次の1および2の合計一、四七〇、四六九円と考えるのが相当である。

1  昭和四一年八月六日から同年一二月三一日まで(一四八日間)の損害

別表(一)記載の昭和四一年度における競輪選手の年間平均賞金額一、四九二、三六四円につき一四八日間分を計算したものである(円未満切捨て)。

2  昭和四二年一月一日から同年七月二五日まで(二〇六日間)の損害

別表(一)記載の昭和四二年度における競輪選手の年間平均賞金額一、五三三、二六二円につき二〇六日間分を計算したものである(円未満切捨て)。

(二)  証人石田文雄の証言によれば、あつせん保留を決定するのは被告日自振の業務担当理事であるところ、原告に対する本件あつせん保留を決定したのは当時の業務担当理事であつた訴外倉茂貞助であること、昭和四一年一一月ごろあつせん保留関係の業務担当理事は倉茂貞助から被告加村覚蔵へ代つたことが認められ、これらの認定を覆えすに足りる証拠はない。

そして、昭和四一年八月六日以降本件あつせん保留を違法のまま継続させていたことについては、業務担当理事である倉茂貞助あるいは被告加村覚蔵、その業務履行の補助者である業務第二部長や業務第二部選手第二課長に少なくとも過失があつたものと考えるのが相当である。

(三)  そこで、次に、原告の被つた前記損害の賠償義務者について考える。

被告日自振は自転車競技法にもとづき設立された特殊法人であり(同法一二条、一二条の二、一二条の四、特殊法人登記令一条)、被告日自振の行なうべき業務の範囲は同法により具体的に定められ(同法一二条の六)、その業務の方法および役員の任免等について通商産業大臣に広範な権限が付与され(同法一二条の九、一二条の一八等)、その役員および職員は同法により強い身分上の制約を受けるものとされていること(同法一二条の、一二、一二条の一四等)、他方、競輪は国が一定の目的のために一定の地方公共団体に限つてこれを行なうことを認めているものであるから(同法一条一項)、競輪の公正・円滑な実施を図るための業務は性質上行政事務に属すると解されることからすれば、被告日自振は、国が右の事務を行なうため自らの行政機関を設ける代りに、その事務を遂行すべき機関として設立した特殊法人であつて、国家賠償法一条一項にいう公共団体に含まれるものと解するのが相当である。

そして、競輪選手の登録およびその消除の意義や競輪選手の参加出走、競輪選手に対する出場あつせん保留の制度は前記および三について述べたとおりであつて、競輪選手は登録や出場あつせん等に関する措置を通じて被告日自振の指導・統制に服しているということができ、被告日自振が競輪選手に対して行なうところの出場のあつせんを保留する行為は、競輪の公正・円滑な運営を期するための公益上の必要から法律により被告日自振のみに与えられた指導・統制権にもとづく権力作用にほかならないと解するのが相当である。

してみれば、被告日自振の業務執行機関である理事がその職務として行なう競輪選手に対する出場のあつせんを保留する行為は、国家賠償法一条一項にいう「公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行う」行為であるといわなければならない。

ところで、自転車競技法一二条の六は被告日自振につき民法四四条の規定を準用しているので、これが国家賠償法五条にいう「民法以外の他の法律に別段の定があるとき」にあたらないかどうかが問題となる。しかしながら、右五条にいう「別表の定があるとき」とは、同条の規定の文理および趣旨・目的からみて、国または公共団体の損害賠償責任の要件および効果につき、国家賠償法一条ないし四条による場合よりもこれを加重ないし軽滅する規定が民法以外の他の法律に定められている場合を指すと解するのが相当であるところ、自転車競技法一二条の六、民法四四条は、被告日自振の会長、副会長、理事などの役員による違法行為一般について、それが公権力の行使にあたると否とを問わず、被告日自振が損害賠償責任を負う旨を規定したものであつて、国家賠償法一条ないし四条による場合よりも被告日自振の損害賠償責任の要件および効果を加重ないし軽減するものではないから、自転車競技法一二条の六は国家賠償法五条にいう「別段の定」にはあたらないものと解するのが相当である。

そして、被告日自振の役員の違法行為により損害賠償責任の根拠法条としては、その違法行為が公権力の行使にあたる場合には、自転車競技法一二条の六と国家賠償法一条が問題となるが、両者は一般と特別の関係に立つと介するのが相当であるから、結局国家賠償法一条によるべきこととなり、そして、この場合には公共団体たる被告日自振のみが損害賠償の責任を負い、公務員たる役員個人は直接被害者に対して損害贈償の責任を負わないものと解すべきである。

(四)  したがつて、被告日自振は、国家賠償法一条一項にもとづき、本件あつせん保留のうち違法な部分によつて原告の被つた損害一、四七〇、四六九円およびこのうち昭和四一年度の損害である六〇五、一二二円については不法行為の後である昭和四二年一月一日から、昭和四二年度の損害である八六五、三四七円については不法行為の後である昭和四三年一月一日からいずれも支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を賠償する義務があるが(なお、原告は国家賠償法一条は適用されないとして自転車競技法一二条の六にもとづき被告日自振に損害賠償の請求をしているが、本件あつせん保留のように公権力の行使にあたる行為については、自転車競技法一二条の六と国家賠償法一条は前記のとおり一般と特別の関係、すなわち法条競合の関係に立つと解すべきであるから、このような場合には適用すべき法律についての原告の主張に裁判所は拘束されないものといわなければならない。)、被告日自振を除くその余の被告らには損害賠償の義務はないというべきである。

九むすび

本件登録消除処分および本件異議決定はいずれも適法であり、その取消しを求める原告の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却する。

原告の損害賠償請求のうち、被告日自振に対するものは前記八で認定した限度で理由があるのでこれを認容し、その余を棄却し、同被告を除くその余の被告らに対するものはすべて理由がないのでこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条一項を適用し、仮執行の宣言の申立てについてはその必要がないものと認めてこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(高津環 上田豊三 横山匡輝)

別表 (一)〜(九)<省略>

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